reportレポート
取材 KTSE合同会社 斎藤 広幸
ソーラーシェアリングの導入で兼業農家から専業農家へ
ソーラーシェアリングの導入がきっかけで、会社を辞めて専業農家になった福島県川俣町の斎藤さん。パネルを回転させるスマートターン技術の共同開発にも携わって、得られた成果とは?
ソーラーシェアリングが希望の光になった
福島県川俣町は、福島第一原発事故の影響を受けて、町の一部では避難指示も出た地域。その町で、会社をやめて農業に専念するようになった人がいる。そして、その決め手が、ソーラーシェアリングだった。
現在では発電事業のための会社「KTSE合同会社」を運営する斎藤広幸さんは、東日本大震災以前は会社勤めをしながら、両親が営む農業を土日に手伝う、いわゆる兼業農家だった。両親も高齢になってきてはいたものの、今後も一緒に農業を続けていきたいと思っていた矢先に起きたのが、あの原発事故だった。
事故直後、福島県産の農作物が売れなくなり、農業継続の見通しが立たなくなった。そこで斎藤さんは農地を転用して太陽光発電所をつくり、で売電収入を得ようと検討、FITの認定まで受けた。しかし第一種農地だったため転用許可が降りず、どうしたものかと思案していたときに、ソーラーシェアリングの存在を知った。
「農地を守りながら発電するという方法があることを知り、これで農業を続けることができるかもしれないと感じました」(斎藤さん)。
それからは、ソーラーシェアリングの発案者として知られる千葉県の長島彬さん(▼P15)の元に何度も足を運び、太陽の動きを想定してソーラーパネルの角度を変えることのできる「スマートターン」システムの開発を、共同で行った。長島さんの基本設計をベースに、斎藤さんは量産に向けた流れを作ることになった。
「もともと技術部門の仕事をしていたので、農業よりもむしろ得意でした(笑)。でも発電と農業の両方を手がけるなら会社員との両立はできないな、と」(斎藤さん)。
斎藤さんは、自分の力を試せるチャンスだと感じ、2015年に会社を退職。ソーラーシェアリングに人生を賭ける決断をする。