reportレポート
インタビュー アースガーデン代表 鈴木幸一
イベント制作オフィスが手掛ける
ソーラーシェアリング
オーガニック&エコロジーなイベント制作オフィス アースガーデン代表の鈴木幸一さんに、匝瑳市に建築したソーラーシェアリングについてお話をお聞きしました。
さまざまなイベントやフェスを企画、運営されていますが、今の事業に至る経緯を教えていただけますか?
僕がまだ20代の頃、御茶ノ水ガイアという、オーガニックとエコロジーをテーマにしたお店をやっていたんです。市民エネルギーちば代表の東さんもその時の仲間の一人。
エコロジーこそ大切。この星と自然環境がなかったら、僕たちは生けていけないし成長もできないし豊かにもなれないと思っていて。国連が目標として掲げるSDGsの基本的な概念も、地球環境の上に私達の生活があって、その上ではじめて経済が成り立つというウェディングケーキモデルを掲げています。
僕は30年前からこれと同じことを考えていて、このことを世の中に人たちに確認し、共有するために仕事をしてきました。
まだオーガニックという言葉も、インターネットも発達していなかった頃。”大根からソーラーパネルまで”を掲げて、野菜から石鹸シャンプーなどのエコグッズ、書籍から輸入雑貨までを揃え、20代の若者が4~5人集まって都心のど真ん中でお店をやっていたので、それなりに注目を集めました。
今でもよく覚えています。ある日、そこにケビンロックというインディアンフルート奏者の方がきて、ここでコンサートをやりたいとオファーをしてきました。店舗で開催するコンサートには4,50人のお客さんがどっとやってきて、コンサートは成功。僕たちは、「自然からいただく食べ物が美味しい、ありがたい」というのは当たり前で、それを売っていく形もすでにできていました。しかし、それを店舗で売ったとしても1日せいぜい50人くらいのお客さんにしか共有したりメッセージを届けることができません。もっと強く、多くの人に伝えるためにはどうしたらいいか、というヒントが、このコンサートなどからの出会いと気付きでイベントをやり始めたんです。それからほんとにたくさんのイベントを企画し、実施してきました。その時の仲間が今でも繋がっていて、様々なところで活躍し、協力してくれます。2000年代、ちょうどそのころフジロックが始まり、音楽フェスのムーブメントがかぶってきた時でした。イベントで数百人、数千人の人を集め、ステージからメッセージを伝える。そんな事業を展開しているうちに、ガイアというお店では収まらなくなり、今のアースガーデンを立ち上げ、今に至ります。
アースガーデンがソーラーシェアリングの建設に挑戦しようと思ったきっかけを教えて下さい
3.11の震災というのは間違いなく大きなきっかけでした。私自身、震災直後から石巻、南相馬でコミュニティ支援をする取り組みを当初から行っていて、今も付き合いは続いています。3月11日には日比谷公園で追悼の場としてのイベントを運営していて、坂本龍一さんや加藤登紀子さん、SUGIZOさんらに協力してもらいながら、あの日のこと、亡くなった人たちのことを繋いでいく場作りをしています。
そんな活動のなか、2013年くらいに東さんと再会し、ソーラーシェアリングについて話をする機会がありました。実は、僕が通っていた南相馬にも、最初期のソーラーシェアリングが建っていて、当時から存在自体は知っていました。でも気にはなっていたけどあまり詳しくはないという感じでした。東さんがソーラーシェアリングの発案者、長島彬さんのところで様々な勉強をしたこと、日本の農業や農地の課題、太陽の光と農作物の関係性(光飽和点)など、さまざまなテーマで話をしました。実は僕は20歳のときにある有機農家に就農し、みっちり修行していた時期があったので、ある程度農業の知識もある中でソーラーシェアリングに関する?(ハテナ)を一つづつ消していきました。
そして、やはり一番大きなきっかけは、千葉県匝瑳市のソーラーシェアリングの実物を見たことです。実物を見ることで様々な疑問は確信に変わった。この取組は未来につながる大きなムーブメントになる、そう思いました。
そのうえで、事業として展開していくにはどの程度の規模、数を作ることがベストなのかを試算し、匝瑳市に2基の低圧発電所を建設することに決めました。建設を決めてしまえば、イベントやフェスと同じくゴールに向かって突き進むのみ。
資金の調達や幾度もの現地視察を経て2017年に運用を開始しました。